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岡山地方裁判所笠岡支部 昭和42年(ワ)50号 判決 1969年8月25日

原告

今田幸子

代理人

両部尊明

黒田充治

被告

森岡清

外二名

代理人

三宅為一

主文

被告森岡清、同森岡正代は各自原告に対し金三、八五三、五五八円およびこれに対する昭和四四年七月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。原告の、被告森岡清、同森岡正代に対するその余の請求、および被告森岡通に対する請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用は、原告と被告森岡清との間に生じたものおよび原告と被告森岡正代との間に生じたものは各当該被告の負担とし、原告と被告森岡通との間に生じたものは原告の負担とする。

この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

原告

被告らは連帯して原告に対し、金四、四四九、七〇三円およびこれに対する昭和四四年七月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決および仮執行の宣言

被告ら

請求棄却、訴訟費用原告負担の判決

第二、原告の請求の原因

一、昭和四〇年一月一五日午前一〇時五五分ごろ、笠岡市笠岡二、〇六八の一番地先路上(以下本件事故現場という)において、被告森岡清(以下被告清という)が母親である被告森岡正代(以下被告正代という)を後部荷台に乗せ、第二種原動機付自転車(以下本件車という)を運転し、北より南に向つて走行中、左方より進出して来た訴外藤井某の自転車と衝突し、そのまま右前方に逸走して原告に衝突したため、原告はその場に転倒した。

二、原告は右転倒により左側頭部頭蓋骨折・第二頸椎骨折の傷害を受け、直ちに入院治療を受けたが完治せず、頑固な頭痛に悩まされ廃人同ようとなるに至つた。

三、右原告の負傷は、被告清の過失によるものであるから、同人は不法行為者として、原告の蒙つた後記損害につき賠償義務がある。

すなわち、被告清は訴外藤井某運転の前記自転車との衝突直前に急制動措置をとれば右自転車との衝突を避け得たし、原告に衝突する事態ともならなかつたのにかかわらず、かかる措置に出なかつたため、本件事故に至つたものであり、被告清に運転上の過失があつたことは明らかである。

四、被告正代は、当時未成年者であつた被告清の親権者であり、同被告を監督すべき法定の義務があつたのみならず、本件車の後部に同乗していたのであるから、慎重な運転をするよう被告清に十分かつ具体的に注意すべきであつたにかかわらず、これを怠り漫然同乗していたものであり、かつ右同乗によつて自転車との衝突時に被告清をして急制動すれば被告正代を振り落す結果となることを避けるため急制動しえなくさせていたものであつて、被告正代にも監督者としての過失があつたから原告の蒙つた後記損害の賠償義務がある。

五、森岡通(以下被告通という)は、以下のいずれかの理由により、原告の蒙つた後記損害の賠償義務がある。

イ、被告清の父である森岡義男は、被告正代とともに被告清の親権者として同被告を監督すべき法定の義務があつたから、原告に対する賠償義務を負担していたが、昭和四〇年四月四日死亡し、被告通が右賠償義務を単独相続した。

ロ、かりにそうでないとしても、被告通は本件車の所有者であり、かつ被告清の兄として、免許取得後日の浅い被告清が二人乗りでしかも遠乗りするような危険発生の十分予想される運行を中止させるべきであつたにかかわらず、すすんで本件車の使用を許した過失があり、この過失と本件事故とに因果関係が存するから、共同不法行為者、ないしは不法行為の幇助者である。

ハ、かりにそうでないとしても、被告清の使用者である。すなわち、本件事故当時、被告正代は、その娘であり、被告清・同通の姉の縁談につき聞き合わせのため浅口郡寄島町に赴かんとしていたものであるから、その用務は被告ら一家の家族共同体の業務というべく、かかる業務のため被告清は本件車を使用したに外ならないので、被告通は被告清の使用者といえる。

六、原告の蒙つた損害は以下のとおりである。

1  入院費・治療費

金五五六、四三三円

内訳

イ、笠岡市立市民病院

金二七六、三四二円

ロ、笠岡中央病院

金三〇、三六一円

ハ、仁和会 金五、三六二円

ニ、国立岡山病院

金一三四、六六一円

ホ、岡山大学附属病院

金一〇七、一七五円

ヘ、西井内科病院

金二、五三二円

2  附添料 金四七四、五七〇円

内訳

イ、双葉家政婦斡施所

金一五三、四八〇円

ロ、博愛 〃

金三〇四、三〇〇円

ハ、中央 〃

金一六、七九〇円

3  入院中の補食費その他雑費(入院総日数七二九日につき一日三〇〇円の割合)金二一八、七〇〇円

内訳

イ、笠岡中央病院六〇日間(昭和四〇年一月一五日から同年三月一五日まで)

ロ、岡山大学附属病院一五〇日間(同年一一月二五日から同四一年四月二三日まで)

ハ、笠岡市民病院二六五日間(同四二年三月二七日から同年一二月一六日まで)

ニ、国立岡山病院二五四日間(同一二月一七日から同四三年八月二七日まで)

4  逸失利益

金一、二〇〇、〇〇〇円

事故当時、原告は五四才の健康な女子で、姉が笠岡市内で経営する薬局の手伝として働き、一日五〇〇円月一五、〇〇〇円の報酬を得ていたところ本件受傷により廃人同ようとなつたため生涯これを得ることができなくなつた。

昭和三九年簡易生命表によれば原告はなお二四、五年の平均余命を有しており、姉の店舗で働いていたので、事故にあわなければなお一〇年間は就労可能と考えられ、その損失総額は金一、八〇〇、〇〇〇円であるが、これをホフマン式計算方式で中間利息を控除すると金一、二〇〇、〇〇〇円となる。

5  慰藉料

金二、〇〇〇、〇〇〇円

原告は、明治四四年一月二七日生の独身者であつて、今後なお二十数年の余命を保ちうると思われたにかかわらず、本件受傷により廃人同ようの毎日を送らざるを得なくなり、その肉体的・精神的苦痛は言語に絶し、ほとんど死者と同視すべき程度である。

以上1ないし5の合計金四、四四九、七〇三円

七、よつて被告らに対して共同して右金員およびこれに対する請求の趣旨拡張申立書が被告らに送達された日の翌日である昭和四四年七月一二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による損害金の支払を求める。

第三、被告らの答弁

請求の原因事実中

一、の事実は認める。

二、の事実中、原告が受傷直後入院治療を受けたことは認めるがその余は争う。

三、の事実は否認する。

本件事故は、訴外藤井某が、被告清の左方から突然飛出して来て同被告と衝突したため発生したもので、被告清にとつては不可抗力と言う外はなく、同被告にはなんら過失がなかつた。その故に、家庭裁判所で審判不開始決定を受けたにとどまつた。

四、の事実中、当時被告正代が被告清の親権者であつたことは認めるが、その余は争う。

五、の事実中、被告清の父義男が原告主張の日に死亡したことは認めるが、その余は争う。

六、の事実はすべて争う。

第四、被告らの抗弁

一、被告らにおいて、原告の笠岡中央病院の入院治療費その他として金三三、二四八円を支払つたから相殺されるべきである。

二、仮定抗弁として、本件事故につき原被告間において、原告の入院治療費一切を被告清・同正代が負担すること、の約にて示談が成立している。

第五、右抗弁に対する原告の認否

一、の笠岡中央病院入院治療費のうち金二三、二四五円の弁済を受けた事実は認めその余は争う。二、の事実は否認する。

第六、立証<省略>

理由

一請求の原因一、の事実は当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すると、本件事故当時の状況としては、大略次のような事実を認めることができ、これに反する証拠はない。すなわち、

本件事故現場は、アスファルト舗装の歩車道の区別のない交差点であるが、南北に走る幅員約4.2メートルの道路に同じ程度の幅員の道路が斜めにくいちがつて交差した市街地内の極めて見とおしの良くない交通整理の行なわれていない場所であること、殊に被告清が走行したように北から南に右交差点に進入するときは左角に消防機材庫があるため左方道路に対する見とおしが全く妨げられる状況にあること、附近の制限時速は三〇キロメートルであること、被告清は当時一八歳で工業高校三年に在籍していたが、被告正代を荷台に同乗させて本件車を運転し、同交差点により南に時速約三〇キロメートルで進入しようとしたこと、その際、左方より中学生の訴外藤井正夫が自転車で右側通行しながら同交差点に進入して来て、被告清と出合い頭に接触し、本件車の中央部附近に右自転車の前輪が衝突したこと、そのため被告清は操縦安定を失い右に逸走したため、同被告はあわててハンドルを左に切り返へし、約八メートル前方左側人家軒下附近に停つていた原告に本件車を衝突させたこと被告清はその際急制動措置をとらなかつたこと、右衝突により原告はその場に転倒し、路傍の速度制限標識の礎石部にて頭部を強打したこと、事故直後の診断によれば原告の傷は左側頭部頭蓋骨折、第二頸椎骨折全治五〇日間の安静加療を要するものと認められたこと、

右認定の事実によれば、本件事故の一因として、訴外藤井正夫が見とおし不良の本件交差点に右側通行で進入した過失が存したとはいえ、被告清においても、市街地内の狭あいかつ見とおし不良箇所の存する道路を走行するのであるから、速度に十分留意し、予想される歩行者との衝突など起こさないよう配慮するとともに、側方から進出してくる人車の有無を確認しつつ通過するようにすべき義務があつたと認められるにかかわらず、そのような注意をつくさないで時速三〇キロメートル位で警笛不吹鳴のまま徐行もせずに進入しようとした過失があつたことはいなみがたく、その故に左方よりの自転車を発見したときはなすすべもなくそのまま出合い頭に衝突したものであり、衝突後も急制動などせずろうばいしたまま進行を続け、結局軒下に待避していた原告に衝突するに至つたと認められるのであつて被告清に運転者としての注意義務を尽くさなかつた過失があつたと言わざるを得ない。制限速度内で走つていたことや、訴外藤井正夫の過失の存在あるいは審判不開始決定を受けたにとどまつたことなどは、被告清の右過失責任に消長を来たすものとは認められない。

そして、被告清はその年令、経歴から見て本件過失による不法行為につきその責任を弁識するに足る知能(以下責任能力という)を有したことは明白であるから、原告に与えた後記損害を賠償すべき義務がある。

三次に被告正代に対する請求につき考える。本件事故当時同被告が被告清の親権者であつたことは当事者間に争いがないところ、被告清が責任能力を有していたことは前認定のとおりであるから、かがる場合においても、なお親権者たる被告正代が、被告清の原告に与えた損害につき賠償責任を負うか否かにつき疑いなしとしない。民法七一四条、七一二条によれば、未成年者が責任能力を有しない場合においてのみ、補充的に法定の監督義務者が責任を負うものと定められていて、責任能力を有する未成年者の不法行為については同条の適用がないこと明らかであるのみならず、責任能力のある未成年者とその法定の監督義務者とに、共に責任があることを認めるような法律上の規定は他に存しないからである。

しかしその故に直ちに責任能力ある未成年者の不法行為については、その未成年者のみが損害賠償義務を負担し、法定の監督義務者たる親権者は全く賠償義務を負わないものと解すべきではなく、親権者が民法八二〇条により負担する未成年者の監督教育義務の内容として、親権者としては未成年者をして社会に適応するよう育成すべき義務を負担しているのであるから、親権者において未成年者が他に損害を与えることを予見し、または予見しえたのにかかわらず、かつ損害の発生を未然に防止し得る状態にありながら、しかも右の監督義務をつくさずして未成年者の行為を放任し、ために未成年者が他に損害を与えたような場合であつて、親権者のかかる監督義務違背と損害の発生との間に相当因果関係の認められるような場合には、親権者は被害者に対し、未成年者とは別個独立に損害賠償義務を負うものと解するのが相当である。

ところで<証拠>を総合すると、被告清は昭和三九年九月一日軽自動車(二輪車に限る)免許を取得し、僅々四ケ月余りを経過したばかりであつたこと、平素本件車は兄である被告通が笠岡市内の勤務先までの通勤用に使用していたものであつて、被告清が常時運転使用していたものではないこと、当日はたまたま祝日であつたため被告清が運転するに至つたものであること、

を認めることができ、これに反する証拠はないが、これらの事実と、前記二、に認定した事実を併せ考えるとき、被告正代としては、被告清が免許取得後日が浅く、かつ運転経験も必ずしも豊富とは言えないことを承知しながら、本件車の後部荷台に便乗していたのであるから、被告清においてかりにも軽率な運転をすれば、自己はもとより他に損害を与えることとなるかもしれないことを十分予見しえたと認められ、従つて特に慎重に運転するよるよう注意し、とりわけ市街地においては速度をゆるめ、見とおし不良の交差点などでは警笛を吹鳴し、或いは徐行させるなど適切かつ具体的に指示すべき義務があつたと認められ、しかもそのように運転するよう注意し得る状態にあつたし、かつそのように運転させていたとすれば、損害の発生は未然に避けえた状態にあつたにかかわらず、かかる監督義務をつくさなかつたため、前認定のような本件事故の発生をみるに至つたものと認められ、結局被告正代の右のような監督義務違背と本件損害の発生との間に相当因果関係が認められると言うべきであるから、同被告も被告清が原告に与えた後記損害を賠償すべき義務がある。

四進んで被告通に対する請求につき判断する。前述のように、被告正代は親権者としての監督義務に違背したことの故に本件の損害につき賠償責任があると認められるところ、このような場合他の共同親権者であつた訴外亡森岡義男は、みずからはなんらのとがめられるべき義務違背が存しないとしても、なお被告正代の右義務違背の故に同被告と共に前記損害賠償の責に任ずべきものと解せられる。けだし婚姻中の父母は共同して親権を行使するものとされているのであつて、親権の内容をなす監督教育は親権者が共同してなすべきものであり、その義務もまた共同して負担するものと解せられるのであるから、右義務に違背した場合の責任についても共同親権者に等しく帰属するものとするのが相当だからである。

ところで右森岡義男が昭和四〇年四月四日死亡し、同人につき相続が開始したことは当事者間に争いがないから、その相続人らは自己の相続分に応じ右義男の負担した本件事故の賠償責任を各自承継したといわなければならない。

しかし、被告通が単独相続をしたか否か、共同相続とすればその相続人は誰々であるか等、被告通の負担すべき責任の範囲についてこれを認めるに足る的確な証拠はない。

さらに、被告通が本件車の所有車であることは<証拠>によつてみとめられるとともに、免許取得後日の浅い被告清が二人乗りで出発走行したものであつたことは前認定のとおりであるが、これらの事実の故に被告清の通行を中止させるべき義務が被告通にあつたものとは直ちに言いがたく、殊に親権者である被告正代が同乗していたのであるから尚更右のような義務があつたとは解せられないので、同被告が本件不法行為の共同行為者ないしは幇助者ともいうことはできない。

また、本件事故当時被告正代にとつて娘であり、被告清、同通にとつては姉の、縁談につき聞き合わせのため浅口郡寄島町に赴く途上であつたことは、被告正代、同清の各本人尋問の結果より明らかであるから、本件車を運行した目的ないし用務が被告ら一家のためであつたことは認められるけれども、それ故に被告通が被告清の「使用者」であるとは到底言い難いものと考える。

以上要するに被告通に対する請求は、いずれよりしても理由がないといわなければならない。

五次に示談の成立の有無につき考える。

<証拠>によれば、原告の入院中、訴外坂本輝太郎、蔵本料平の両名が、原被告間を仲介し、原告の入院治療費一切を被告清、同正代が負担するとの条件にて示談すべく交渉したこと、および右交渉は結局不成功に終つたこと、をそれぞれ認めることができ、<証拠判断>

従つて、この点に関する被告らの主張は全く理由がない。

六本件事故による原告の受傷とその後の経過については次のように認められ、これに反する証拠はない。

即ち<証拠>によると、原告は昭和四〇年一月一五日から同年三月一五日まで、六〇日間笠岡中央病院に入院し、翌一六日より同年一一月二〇日までの間に計六二日間病院に通院した。初診時には頭痛、めまい著しく、左側頭部頭蓋骨折、第二頸椎骨折と診断され症状次第に軽快したが、頑固な頭痛、めまいは依然続いていたところ、腹部に腫瘤を生じ岡山大学附属病院に転医した。そして、昭和四〇年一一月二五日から翌四一年四月二三日まで、一五〇日間同院に入院、その間頭部外傷後遺症としての頭痛、耳鳴りが持続していたが、昭和四一年一月一七日左卵巣腫瘍てき出手術をし、退院後も同年一〇月八日までの間に計五日通院したのち、笠岡市立市民病院に転医した。次いで同年一〇月二九日より翌四二年三月二五日まで同病院に通院したのち同月二七日より同年一二月一六日まで二六五日間入院したが、当時病名は頭部外傷後遺症兼術後腸管癒着障害、肺結核であつたところ、同年九月腰椎穿刺を受けたあと視力障碍四肢麻痺を来たし起立不能となり、同年一二月一六日国立岡山病院に転医した。そして同日より昭和四三年八月二七日まで二五四日間同病院に入院したが、病名は視束背髄炎あるいは多発性硬化症であつて、退院時においては幾分軽快したものの臍高以下に知覚障害あり杖により平坦場所の短距離の歩行は可能となつた程度で、多少の病状の改善は可能であろうが完治は困難な状況にある。

そこで損害額につき検討する。

1  入院費・治療費

イ、笠岡市立市民病院

金二七六、三六二円

<証拠>により右のとおり認められる。

ロ、笠岡中央病院

金三〇、三六一円

<証拠>により右のとおり認められる。

ハ、仁和会 金五、三六二円

<証拠>により右のとおり認められる。

ニ、国立岡山病院

金一三四、一六一円

<証拠>により右のとおり認められる。

ホ、岡山大学附属病院

金一〇七、一七五円

<証拠>により右のとおり認められる。

ヘ、西井内科病院

金三、四七二円

<証拠>により右のとおり認められる。

以上イ、ないしヘ、合計金五五六、八九三円を支払つたことが認められこれに反する証拠はないが、原告は金五五六、四三三円と主張しているので、同金額をもつて入院治療費とする。

2  附添費、(紹介手数料を含む)

<証拠>により

イ、双葉家政婦斡旋所

金一五三、四八〇円

<証拠>により

ロ、博愛会家政婦斡旋所

金三一〇、四二四円

<証拠>により

ハ、中央家政婦斡旋所

金一六、七九〇円

をそれぞれ支払つたことが認められ、その合計は金四八〇、六九四円となるところ、原告が入院中附添を要したことは、<証拠>により明らかである。

右認定に反する証拠はない。

しかして、原告は計金四七四、五七〇円と主張しているので同金額をもつて附添費とする。

3  入院諸雑費

原告が七二九日間入院していたことは前記のとおりであり、入院中には一日金二〇〇円程度の雑費を支出することは公知の事実であるから、原告は右入院中金一四五、八〇〇円の雑費を支出したことを認めることができるが、原告主張のその余の諸雑費についてはこれを認めるに足りる証拠がないから、諸雑費については結局右認定額とする外はない。

4  逸失利益

<証拠>によれば、原告は姉今田清子夫婦の経営する薬局を手伝つていた当時五四才の健康な女性で、一日五〇〇円月賦にして一五、〇〇〇円の報酬をえていたと認められる。証人坂本輝太郎の証言中、右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定をくつがえす証拠はない。

そして、本項冒頭記載のように労働能力を全く喪失するに至つたところ、本件事故にあわなければなお少なくとも一〇年間は同ようの労働に従事できたと認められるので、その損失総額は金一、八〇〇、〇〇〇円であるが、これを複式ホフマン式計算方式を用いて中間利息を控除すると原告主張の金一、二〇〇、〇〇〇円を越えることは明らかであるから右金額をもつて逸失利益とする。

5  慰藉料

原告の前記傷害の部位、程度とその治癒の現状その他諸般の事情を考慮すると、原告の本件事故による精神的苦痛に対する慰藉料は金一、五〇〇、〇〇〇円とするのが相当である。

6  医療費の一部受領

原告が被告らより笠岡中央病院の治療費として金二三、二四五円を受領し、これを右費用に充当したことは、原告の認めるところであるが、被告が右金額をこえて弁済したとの的確な証拠はないので、右金額を右損害額に充当して控除することとする。

以上によつて原告の損害額は計金三、八五三、五五八円となる。

七、そこで原告の被告清、同正代に対する本訴請求のうち金三、八五三、五五八円およびこれに対する請求の趣旨拡張申立書が被告らに送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和四四年七月一二日から支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は理由があるから、これを認容し、同被告らに対するその余の請求および被告通に対する請求はいずれも理由がないから棄却し、民事訴訟法八九条、九二条九三条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。(谷口貞)

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